山梨県では、ローカル・ゼブラ企業※を育成する「YAMANASHI Impact Challenge」を展開しています。「山梨で、社会起業の火を灯す」をスローガンに掲げ、学び・伴走・マッチング・資金調達・ネットワークづくりを一気通貫で提供し、社会課題をビジネスに変える挑戦を後押しする取り組みです。
本記事「やまなしイノベーションストーリー」は、山梨を舞台に未来を切り拓く挑戦者たちのリアルな声を通じて、地域発イノベーションの最前線と、その支援の舞台裏に迫るインタビューシリーズです。
今回、お話をうかがったのは、山梨発のローカル・ゼブラ企業として高い注目を集めるKEIPE株式会社の代表・赤池侑馬さんです。中学校教員やスタートアップでの経験を経て、2017年に障がい者就労支援事業で起業。「障がいを特別なものにせず、誰もがそこに居ていい社会」を目指し、障がいのある方々と共に地域課題の解決に取り組む事業を複数展開しています。
働き方の可能性をひらくKEIPEの試み。その裏側で、山梨の行政やコミュニティ、経営者ネットワークはどのような役割を果たしていたのでしょうか。KEIPEの歩みをたどりながら、赤池さんが体感してきた「山梨で挑戦することの価値」を掘り下げていきます。
※ローカル・ゼブラ企業:地域課題の解決を目指し、地域企業等と協業しながら、新たな価値創造や技術活用を通じて社会にインパクトを生み出し、持続的な収益を確保する企業
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キャリアの原点は学校の先生。起業を志すまでの想いとは

――まずKEIPEの事業について教えてください。
KEIPEは私が27歳の時、2017年に創業した会社で障がいのある方の就労支援からスタートしました。大切にしているのは、何らかの理由で支援されていた人たちが、地域の課題を解決するプレイヤーとして活躍できる環境をつくること。その想いを軸に事業の幅を広げ、現在は地域商社・物流・小売・飲食など、地域に根ざしたサービスを複数展開しています。
――KEIPEを創業するまでに、どのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。
出身は山梨県昭和町です。高校卒業後に千葉大学へ進学し、教員免許を取得して先生になりました。初めての赴任先は、いわゆる非行少年などと呼ばれるような生徒たちもいる環境で。ただ、そうした生徒たちの多くは、家庭環境などに複雑な事情を抱えていて、その結果が非行として表れているだけだと感じていたんです。
本当は一人ひとりと向き合いたかったのですが、現場ではどうしても「問題への対処」が優先され、生徒たちとの距離が生まれてしまう場面も少なくありませんでした。ここで働き続けても、子どもたちが置かれている状況は変えられない。だったら、自分で学校をつくるしかない。その想いが、大きな転機になりましたね。
――そこからキャリアチェンジを?
はい。学校をつくるとなれば、教育の外に広がる社会の仕組みやお金の流れ、人とのネットワークなど、教員のままでは触れられない世界を知る必要があると感じました。そこで、思い切って教員を辞めたんです。その後は、東京のスタートアップ、海外での仕事、農業法人やコンサルティング会社の立ち上げなど、学校づくりに活きる経験を得るために興味が湧いたフィールドへ次々と挑戦していきました。
就労支援の現場で見つけた自分の使命

――さまざまなキャリアを歩まれてきた中で、福祉領域で事業を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
きっかけは2016年ごろ、当時勤めていたスタートアップの上司から「障がい者就労支援で独立したいから手伝ってほしい」と声をかけられたことが始まりです。その時点では福祉に強い関心があったわけではありませんでした。ただ、実際に現場を見てみると、障がい者と言われていても「普通に仕事ができる人」が大勢いて、「働きたいのに働けない人」が想像以上に多いことを知り、驚きました。
つまり就労支援の現場は、なんらかの理由で社会から孤立してしまっていた方たちを集め、再び社会とつなげていく場所のように見えたんです。その構造が、かつて自分が思い描いていた「学校のあり方」に近い部分があると気づきました。
また、私にはバイク事故の後遺症で長らく働けなかった兄がいるのですが、もし地元・山梨で障がい者支援の事業をつくることができたら、兄が安心して働ける場所を用意できるかもしれないとも思って。そうした気付きや想いが重なり、独立を決め、KEIPEを創業しました。
――その後、事業はどのように成長していったのでしょうか。
創業当初は企業からの受託業務が中心でしたが、「これだけやって1個1円なのか……」と感じるような案件も少なくありませんでした。受託だけに頼っていると、どうしても対等なパートナーというより「お願いされる側」にとどまってしまう。そこで、自分たちで仕事をつくろう、と考えるようになりました。
そのときも、ただ売上が立てばいいとは思っていなくて。環境負荷の高いビジネスや海外で大量生産して安く売るようなモデルなど、世の中にはいろんな選択肢がありますよね。それらを否定するわけではないけれど、KEIPEでは「これまで支援されてた人たちが、地域の課題を解決するプレイヤーとして活躍する」というストーリーを大事にしたかった。
その姿が広がれば、周りの見る目も変わるし、本人たちの可能性も大きくひらいていくはずだと思ったんです。そうした想いで事業を続けてきた今、障がいのある方たちが働くことは私たちにとって当たり前で、あえて大きな声で訴えるテーマではなくなってきていると感じています。
だからこそ次のステップでは、「誰がつくっているか」ではなく純粋に商品やサービスの質で選ばれるように、KEIPEの事業そのものをさらに磨き込んでいきたいです。
KEIPEの成長を後押しした、山梨の人と支援のネットワーク

――KEIPEを創業後、山梨のコミュニティや行政からはどのようなサポートがありましたか?
最初に相談に行ったのは、地元・昭和町の商工会でした。手元にあるのはわずか数百万円。「ここからどう事業を立ち上げようか」という段階でしたが、商工会の皆さんは驚くほど親身に向き合ってくれて。中小企業診断士や県の担当課の方をつないでくれたおかげで、十分な融資を受けてスタートすることができました。
その後、しばらくは東京と山梨の二拠点で活動していたのですが、コロナ禍を機に本格的に山梨へ戻ってきました。現在は、新規事業の構想段階で県の皆さんに「壁打ち」をお願いすることがよくあります。
また、「この事業テーマに、知見のある経営者はいませんか?」「県と一緒にできる可能性はありますか?」と相談すると、すぐに関係者へつないでもらえる。こうした県とのやりとりの中でアイデアが膨らんだり、思いもよらない新しい切り口が生まれたりするので助かっています。
――経営者同士のつながりや関係性については、どのような印象を持っていますか?
Uターン直後は誰も知り合いがいない状態だったんですよ。人脈を広げるために、1人に会ったら3人紹介してもらうみたいなことを続けていたら、1年後には山梨のほとんどの経営者とつながりました。その中には、銀行の役員や商工会の会長といった各業界のキーマンもいらっしゃって。山梨は、人のつながりが一気に加速していく場所だと実感しましたね。
また、新しい取り組みを一緒に面白がってくれる人が本当に多い。行政も企業も「若い人の挑戦を応援したい」という思いを持っているんですよね。東京だとどうしても「スケールするのか」「投資リターンはどうか」といった合理的な話が重視されがちですが、山梨では 「ひとつの共同体としてどう発展していくか」 を本気で一緒に考えてくれる方が多い印象です。「山梨をもっと面白くするために、力になれることはないか」と言ってくれるキーマンが周囲にいる。そして、つながりたいと思えばすぐにつながれる距離感がある。この「スピード感」と「地域の一体感」は、山梨ならではの強みだと思いますね。
ブルーオーシャンは山梨にあった。地域に眠る事業の可能性

――東京でもビジネスをしてきた赤池さんから見て、山梨の魅力は何でしょうか?
山梨はブルーオーシャンだと思っているんです。それは競合が少ないといった意味ではなく、まだまだ地域課題が数多く残っているということ。一見儲からなさそうで、誰も手を出していない領域でも、仕組みを工夫すれば事業として成立する可能性がある。100億円規模の事業をつくるのは難しくても、1億円規模の事業のタネならたくさんあると思うんです。その余白こそが山梨の魅力ですし、スタートアップにとって大きなチャンスではないでしょうか。
また、山梨でスモールスタートし、ここで磨いたビジネスモデルを他地域へ広げていく視点も重要だと思っていて。これから地方は街が衰退していくスピードに対して、新規事業が生まれるスピードが追いつかなくなる時代に入っていくはずです。
だからこそ、すべてをゼロからつくるのではなく、うまくいった取り組みはどんどん横展開していくことが不可欠になる。地域の取り組みは「属人的で再現性がない」と思われがちですが、私としては「本当にそうなのか?」と今まさに向き合い始めています。
――KEIPEではさまざまな地域課題に目を向けて事業を展開されていますが、事業として取り組む地域課題はどのように見つけているのでしょうか?
今でこそうまく伝えていますが、KEIPEの事業の中で「これは社会課題だから自分たちが解決しよう」と意気込んで始めたものはほとんどありません。障がい者支援に関しても、「この人たち普通に働けるじゃん」「じゃあ、一緒にやれたら楽しそうだよね」というところからスタートしました。
そんな背景もあって、KEIPEの事業づくりはどこか「遊び」に近い感覚があります。簡単すぎるとすぐ飽きてしまうし、難しすぎると続かない。ちょうどいい難易度に調整しながら、どう工夫すれば前に進めるかを試行錯誤していく。そのプロセスが、遊びに似ているんです。
途中で撤退する事業もありますが、うまく軌道に乗るものが生まれれば、結果として地域課題の解決につながっていく。仮に事業に失敗しても死ぬわけじゃないですからね。KEIPEのやっていることはその繰り返しなんです。
もっと起業家が生まれる仕組みを山梨に。KEIPEの次なる挑戦

――KEIPEの今後の展望について聞かせてください。
これから取り組んでいきたいチャレンジは、大きく3つあります。

1つ目は、KEIPEの取り組みをモデル化し、全国に広めること。今、KEIPEは第二創業期に入りました。創業当初は「本当にできるのだろうか」と半信半疑だったことが、今では「できて当たり前」と言えるほどになりました。例えば、障がいのあるスタッフが中心の現場で月商500万円をつくるようなことも特別ではなくなっています。だからこそ、これまでの取り組みや成果を言語化し、他地域でも再現できるモデルとして確立することが次の使命だと感じています。
2つ目は、人づくり。社会起業家にとって大切なのは、どんなビジネスで地域の課題に向き合うかを考えること以上に、「社会はどこか遠くにあるものではなく、自分そのものだ」と気づけるかどうかだと思っています。そもそも自分のあり方や行動が変わらなければ、社会も変わっていかないですよね。だからこそ、そうした感覚を育てられる場……つまり「学校」をつくりたいんです。事業で1兆円を目指すことよりも、人づくりにコミットすることで、山梨という共同体に貢献していけたらと考えています
3つ目は、次の起業家たちが挑戦しやすい土壌を整えること。KEIPEでは、山梨から多くの社会起業家を輩出することを目指して、近いうちに「起業家育成プログラム」をスタートさせる予定です。そこでは、私たちの理念に共感してくれる方たちに積極的に投資し、リスクを取りながら挑戦できるエコシステムをつくろうとしています。
イメージとしては、事業を任せられる「いいリーダー」を育て、彼らが立ち上げた事業によって地域課題が解決されていく。その積み重ねによって、地域の働き方や暮らし方そのものが少しずつアップデートされていく……そんな流れを思い描いています。
目指すゴールはたくさんありますが、県とも連携しながら一つひとつ実現し、「山梨で挑戦したい」と手を挙げてくれる起業家をもっと増やしていけたら嬉しいです。
――これから起業を考えている方々に向けてメッセージをいただけますか?
山梨出身の方には、まずは地元で挑戦してみてほしいですね。自分が生まれ育った場所で本気を出せないと、どこへ行っても続けるのは難しい。逃げ場がないからこそコミットできるし、納税というかたちで地域に責任を持つこともできます。
一方で、山梨出身ではない方が面白い取り組みをしているケースも多いんですよね。外から来たからこそ見える視点を歓迎する土壌が山梨にはあるからか、さまざまなバックグラウンドをもった人たちが活躍している印象です。
東京との距離感もちょうどよく、日帰りで商談や会食ができる利便性もある。「東京だけがフィールドじゃないよな」と感じ始めている起業家にとって、山梨はとても挑戦しやすい場所だと思います。だから結論としては……「全員おいでよ!」ってことになりますね(笑)
文・小島 慎平、写真・中込涼


