富士山や八ヶ岳など、周囲を標高の高い山々に囲まれた山梨県は、水質の良さで知られている。その水を生かし、古くから日本酒づくりが盛んに行われてきた。
一方甲府盆地では、水はけの良い土地を生かしたブドウ栽培が広まり、今や日本ワインの一大産地となっている。
日本酒とワイン、どちらも「美酒の産地」山梨を象徴する酒なのだ。
とはいえ日本酒とワインは原材料や製造方法が大きく異なる。そのため全国的に見ても、中小事業者で両方をつくっているケースは少ない。
だが70年も前から日本酒づくりとワインづくりを両立させ、高品質な酒を提供し続けている会社がある。山梨県大月市の老舗酒蔵「笹一酒造」だ。
長年にわたり両方をつくり続けてこられたのは山梨の地域特性と同社の技術、そして地域の食文化への強い思いがあった。代表の天野怜氏に聞いた。
INDEX
時代に合わせて酒づくりを見直し、360年の歴史を刻んできた笹一酒造
笹子トンネルの東、甲州街道沿いに立地する笹一酒造は、寛文元年(1661年)創業の花田屋から事業を継承し、大正8年(1919年)に笹一酒造と改名した約360年の歴史ある酒蔵だ。
同社の日本酒の最大の特徴は「仕込水」。
日本酒は成分の約8割が水であり、水が日本酒の味を大きく左右する。同社は富士・御坂地域に属しており、その仕込水は富士山の雪解け水が自然の中でろ過された地下水で、昔から名水として知られている。その水と100%山梨県産の酒米を使い、丁寧にじっくりと発酵させてつくる日本酒は素材の良さが際立ち、フルーティーでフレッシュ。料理とも合わせやすいと好評だ。
以前は大量生産方式で比較的手に取りやすい価格帯の酒をつくり、東京などにも多数出荷していた。だが日本全体の酒の消費量減少などを背景に、2014酒造年度から機械を使った大量生産をやめて「麹づくり」と「酒母工程」を手作りにするなど、製造方法を大きく転換した。
同社の天野怜代表は「笹一酒造が360年以上にわたり続いてきたのは、時代に合わせて酒づくりを見直してきたからです。近年、日本人の飲酒量は減った一方、より美味しいお酒を飲みたいというニーズは強くなっています。そこで自分たちの酒づくりともう一度向き合い、より高品質な酒づくりに取り組むことにしたのです」と語る。
同社の酒は県内の飲食店で提供されているほか、全国にもファンを持つ。またフランスで開催される世界的な日本酒コンクールでもプラチナ賞を受賞するなど、海外でも高い評価を得ている。
70年前からワインも製造。気候と風土に根ざしたやさしい味わいが魅力
笹一酒造は酒蔵として創業したが、現在はワイナリーでもある。
山梨県は“日本ワイン発祥の地”とされるなど、昔からブドウ栽培・ワイン製造には親しみのある土地だ。
同社がワインの製造・販売を始めたのは1953年。当時、山梨で大規模にワインを作る事業者はほとんどなく、酒蔵がワインをつくるというのもかなり異例だったという。
「ワインづくりに乗り出したのは『地域でブドウが栽培されていたから』という自然の流れだったようです。ですが事業として本気で取り組んでおり、1960年代にはフランス・ボルドーからワインづくりの講師を招いたり、海外輸出を始めたりしていました。1970年には7万本ものワインを生産していたという記録が残っています」と天野代表。
同社のブドウ畑は甲府盆地の南、御坂山地の西側に位置しており、水はけが良く風通しも非常に良い場所にある。また日照量がとても多く、昼夜の寒暖差も大きいなど、ブドウづくりには最適の立地だ。社員らは年間150日ほどかけて丁寧にブドウ畑を手入れし、良質なブドウを育てている。山梨の気候・風土に根ざしたワイン「OLIFANT(オリファン)」は食事のおいしさを引き立てる優しい味わいが特徴で、日本ワインコンクールでも金賞を受賞している。
日本酒とワインの両方をつくる、笹一酒造ならではの強み
日本酒とワインは原材料も必要な設備も異なる。両方をつくるメリットはあまり無いように思えるだろう。
だが同社は70年の積み重ねを経て、「日本酒蔵であり、ワイナリー」の強みを見いだし、酒づくりに最大限生かしている。
大きなポイントは以下の3つだ。
- 衛生管理
- 発酵技術
- 情報共有、生産協力
日本酒は製造工程で雑菌が入り込まないよう、厳格な衛生管理が求められる。同社では日本酒づくりで実践している衛生管理の手法を、ワイン製造にも応用している。その結果、日本酒クオリティのクリーンな環境のもと、キレイなワインをつくれるようになった。
また同社の日本酒の一部は、酵母と乳酸菌を長期間発酵・熟成させる「山廃仕込み」という手法を採用し、低温でじっくりと仕上げていくことで旨みとキレの良い食中酒を生み出している。ワインは日本酒と同じ醸造酒であり、原料を酵母により発酵させてつくる。そこで日本酒づくりで培った発酵の知識と技術を、ワインづくりにも活用している。
技術的側面だけではなく、人的側面でもメリットが大きい。
製造業においては、つくっている商品が違うために、部門間で交流がないことは珍しくない。だが同社では夏は日本酒部門がブドウ畑の手入れを手伝い、冬はワイン部門が日本酒の仕込みを手伝う。発酵などの知識や情報は共有し合い、お互いの酒をテイスティングして率直な意見を述べる。当たり前のように協力し合っているのだ。
毎年11月に開催される「笹一新酒まつり」でも、日本酒とワインの両方が並び、多くの客が好みの酒を楽しんでいる。
「昔は部門ごとに製造者も営業担当もバラバラで、あまり交流はなかったようです。ですがワインづくりを始めてから70年の間に協力関係ができあがりました。今は「日本酒部門」「ワイン部門」という縦割りではなく、「笹一酒造」として一つにまとまっています」と天野代表は話す。
日本酒、ワイン、そしてカフェ。酒づくりを通して山梨の食文化を支えたい
2020年2月。敷地内に昔からあった蔵元直営ショップの「笹一酒遊館」を大規模リニューアルし、「SASAICHI KRAND CAFE(ササイチ・クランド・カフェ)」カフェをオープンした。お酒が飲めない人や子どもにも、日本酒の発酵文化を味わってほしいという思いから、ノンアルコールの酒粕や甘酒のスイーツ、仕込水を使ったコーヒーなどを提供している。
「笹一酒造は山梨県の中でも東に位置するため、東京や横浜から車で来店される方が少なくありませんでした。ノンアルコールのものであれば、飲酒をせずに、笹一の味や技術を知ってもらえます」と天野代表。
日本酒、ワイン、そしてカフェ。
多角的に事業を展開する同社だが、根底にあるものはただ一つだ。
「私たちは日本酒やワインを通じて、山梨の食文化を支えたいんです。山梨は山々に囲まれているので水が豊富で日本酒製造に向いている。一方で水が豊富だからこそ、逆に水はけのよい場所が生まれワイン製造にも向いています。日本酒とワインは表裏一体であり、山梨は両方に向いている最高の土地なのです。それに加えてフルーツやジビエ、ほうとうなど、山を起点に生み出された豊かな食文化があります。だからその食文化を存分に楽しんでもらえるように、食材の魅力を引き出すような酒づくりをしているのです」。
同社では海外の販路拡大にも力を入れているが、そこにも地域に貢献したいという思いがある。
「山梨は東京からのアクセスが良いため、インバウンドの客も比較的足を運びやすい。笹一酒造の酒を飲んだことをきっかけに、より多くの外国人観光客に来県し、山梨の魅力を体感してほしい。これからも地域とともにある酒づくりに取り組んでいきたいと思っています」。
笹一酒造株式会社
〒401-0024 山梨県大月市笹子町吉久保26番地