「山梨の銘菓」と聞いて、思い浮かべるものは何でしょうか?多くの人は信玄餅と答えるかもしれませんが、他にもさまざまな銘菓があります。フルーツ王国・山梨らしい素材を活かしたものや地域の風習とともに受け継がれてきたものなど、その種類は実に多彩です。
その中でも、今回取り上げるのは郷土の特色を映し出したもの。山梨に息づく和の銘菓とその背景にある歴史や文化について、天保3年創業(1832年)の老舗和菓子屋「松林軒豊嶋家(しょうりんけんとしまや)」にお話をうかがいました。
INDEX
銘菓を生み、地域と歩んできた老舗和菓子屋の歴史
今回取材班が訪れたのは、甲府市国玉町に本店を構える松林軒豊嶋家。天保3年(1832年)創業の老舗和菓子屋です。明治維新や甲府空襲、そして近年のコロナ禍など、いくつもの時代の荒波を乗り越え、甲府の地で菓子づくりを続けています。
出迎えてくれたのは、7代目店主の鈴木伸吾さん。まずは松林軒豊嶋家がどのような歴史を歩んできたのか、うかがいました。

「当店は代々、上生菓子や朝生菓子をはじめ、地域の年中行事や冠婚葬祭などに用いられる菓子をつくってきた和菓子屋です。当店の歴史を語る上で欠かせないのが、山梨の銘菓として地元で親しまれてきた『月の雫』。後ほど詳しくご紹介しますが、当店では明治初期に4代目が仕込み途中の糖蜜にぶどうを落としたことから偶然誕生したと伝わっています。その後、甲府商工会議所の会頭も務めた5代目が“山梨に代表的な菓子をつくろう”と月の雫の商標を開放し、その名を誰でも使えるようにしたと聞いています」※月の雫の発祥については諸説あるとされています。
当時、和菓子屋の枠を超え、地域の商業を牽引していたという松林軒豊嶋家。1930年代初頭には、県内初の本格百貨店を開業した逸話も残されています。
また、「当店で修業を積んだ職人が独立する際に、“松”や“林”の字を引き継いだお店もいくつかあったんですよ」と話す鈴木さん。こうしたエピソードからも、地域に根ざして歩んできたお店であることがうかがえます。
現在は「笑顔広がる和菓子屋さん」という言葉を掲げ、日々菓子づくりに向き合っているとのこと。長い歴史を持つお店でありながら、目の前のお客さまとの関わりや地域とのつながりも大切にしていることが伝わってきました。そうした誠実な姿勢が、この地で長く親しまれてきた理由のひとつなのでしょう。
甲斐八珍果を活かした、伝統銘菓「月の雫」と「絹多ぐるみ」
山梨の食文化を語る上で欠かせないのが、フルーツの存在です。古くから果樹栽培が盛んだった山梨県では、ぶどう、梨、桃、柿、栗、林檎、石榴、胡桃(一説には、銀杏)の8つの果実を「甲斐八珍果」と呼び、大切にしてきました。
そんな甲斐八珍果の味わいを活かしているのが、松林軒豊嶋家が代々つくり続けている「月の雫」と「絹多ぐるみ」です。ここからは、2つの伝統銘菓の歴史やおいしさを生み出す工夫をひもといていきます。
山梨の秋を告げる、みずみずしい銘菓「月の雫」

生の甲州ぶどうを丸ごと一粒、糖蜜で包んだ月の雫。口に含むと、糖衣がパリッと割れ、中のぶどうがぷちっと弾けます。果汁のみずみずしさとやさしい甘さが重なり合う、山梨の秋を象徴する銘菓です。
「松林軒豊嶋家が商標を開放した」とお話しいただいたように、「月の雫」は京都の八ッ橋と同様に一般名称として広く使われており、山梨県内の複数の和菓子屋でつくられています。その中で、松林軒豊嶋家がつくる月の雫の特徴をお聞きしました。
「見た目はシンプルですが、意外と手間がかかります。生のぶどうを使うので冷凍保存やつくり置きができなくて。良質な甲州ぶどうが仕入れられる9月初旬から11月中旬までは、月の雫の仕込みにつきっきりになります。1日につくれるのは300~400粒ほどです」

鈴木さんによると、月の雫のおいしさを決めるのは、何よりも甲州ぶどうそのものの味わい。甘みだけではなく、適度な酸味が欠かせないそうです。
ぶどうを仕入れる際は、納得できる品質かどうかを見極めるため、農家と直接取り引きしているのだとか。また、月の雫をできるだけ長く提供するために、収穫時期が異なる複数の農園を選んでいると教えてくれました。しかし、最近はぶどうの確保自体が難しくなってきているといいます。
「栽培品種の転換などの影響で、甲州ぶどうを育てる農家さんが減っていて。しかし、月の雫は甲州ぶどうあってこそなので、農家さんとの関係を大切にしながら今後もつくり続けていけたらと思っています」
農家や職人の手を経て生まれる月の雫。その魅力について、鈴木さんはこう話してくれました。
「月の雫は季節も数も限られているからこそ、特別感がありますよね。また、シンプルでありながら、山梨らしさをとてもわかりやすく伝えられる。県外の方をもてなすときにも、ぴったりな菓子ではないでしょうか」
全国の茶会で親しまれる銘菓「絹多ぐるみ」

胡桃や干しぶどう、白ごまなどを練り込んだ黒糖風味の餡を桃山生地で包んで焼き上げた「絹多ぐるみ」。甲斐八珍果の素材から生まれた山梨らしい味わいの和菓子です。
「絹多ぐるみは、大正から昭和の初め頃に生まれた菓子で、イメージとしては中国の月餅に近いと思います。一年中つくっている商品なので、全国の茶会で長年ご愛顧いただいていますし、大手百貨店のバイヤーの方からも評価いただいています」
菓子産業展では通産大臣賞、全国菓子大博覧会では褒賞有功金賞など、数々の受賞歴を誇り、天皇・皇后両陛下が山梨を訪れた際には、ご賞味いただいたこともあるのだとか。
いつの時代でも高い評価を受けてきた味は、どのようにして守られてきたのでしょうか。
「基本の製法はほとんど変えていません。ただ、食べる人の好みは時代とともに変わりますから、甘さだけは微調整しています。また、まとめてつくるのではなく、少量ずつ丁寧に愛情を込めてつくる。それが、私のこだわりです」
さらに鈴木さんは、こんなエピソードも教えてくれました。
「数年前のコロナ禍は正直かなり厳しい時期でしたが、原材料のグレードを下げることだけはしませんでした。そこで妥協してしまったら、うちの菓子じゃなくなる気がしましたし、結局お客さまに伝わると思ったんですよね」
月の雫と絹多ぐるみに共通していたのは、素材に向き合い、手間を惜しまない菓子づくり。その姿勢が、素朴でありながら奥行きのある伝統的な味わいを支えているのです。
地域の風習に息づく山梨の和菓子文化

月の雫や絹多ぐるみなどの銘菓だけでなく、山梨には古くから暮らしの中で和菓子と親しむ文化があったのだとか。地域に根ざした和菓子屋さんだからこそ知るお話を聞かせてくれました。
「甲府市街にある和菓子屋さんは、節分の時期が近づくと“がらがら”という菓子をつくるんですよ。おもちゃや鈴を包んだ三角形のせんべいで、振るとガラガラと音が鳴る。邪気払いの意味があるといわれていて、少なくとも80年以上前からつくられている伝統菓子です」
その他にも、秋のお月見。山梨では十五夜と十三夜の2回行われており、ピラミッド状に積んだお団子とススキを飾る家庭も多いのだそう。
「お月見団子をこれほど熱心に買っていただける地域はあまりないと思いますね。地元の食文化として根付いていますし、和菓子屋としても昔から大事にしている風習です」
和菓子を知るほどに深まる「地元肯定感」

山梨を代表する伝統銘菓と地域の風習を守り続けてきた松林軒豊嶋家。近年は季節のかき氷や琥珀糖など、地元のフルーツを使った新しい菓子づくりに挑戦しており、山梨の魅力を改めて実感するようになったといいます。
「山梨を見渡してみると、自然の恵みが本当に豊かなことに気づかされます。和菓子づくりに欠かせない水は清らかですし、質の高いフルーツもたくさん採れる。実は、県内でいちごが栽培されていることも最近になって知ったんですよね。知れば知るほど、自己肯定感ならぬ“地元肯定感”が高まっていく。そんな感覚があります」
最後に、この記事の読者に向けてメッセージをいただきました。
「これまで和菓子を食べる機会が少なく、距離を感じている人にこそ、専門店が丹精込めてつくった和菓子を食べてほしいと思っています。素材の持ち味がそのまま表れるものだからこそ、水やフルーツなど自然に恵まれた山梨で、そのおいしさを堪能してみてください」
今回の取材から見えてきたのは、銘菓が地域の風習や文化と深く結びつきながら受け継がれてきたこと。その味わいの中に山梨ならではの恵みが詰まっているのです。長く親しまれてきた逸品を味わう時間は、山梨の魅力を知る1つのきっかけになるはず。山梨を訪れた際は、ぜひ和菓子屋にも足を運んでみてはいかがでしょうか。
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やまなしの食データベース 「月の雫」
文・小島 慎平、写真・林 ユバ


