土地の78%を森林が占めている山梨県。森林保護に力を入れており、持続可能な森林管理の国際基準「FSC認証」を取得している森林の面積は日本一を誇る。
このFSC認証は、違法伐採を抑止し、適切な森林管理を促進するための制度。環境や地域社会に配慮しながら未来に向けた持続可能な森を作っていくのは、森林県・山梨として大きな意味を持つ取り組みだ。
そんな山梨の森で、木々を守る活動をおこなっているひとりの男性がいる。
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富士河口湖の広大な森で、木に触れるコミュニティを作る
秋の初め、富士河口湖。木々の濃い緑に囲まれた森の一角で、若い大工たちが大きな声を張り上げていた。手で刻まれた太い梁材を組み上げ、建築作業を進める。
活気ある声を上げる若い大工たちの中に、汗を拭うひとまわり年上の男性がいた。黙々と重機で石を掘り起こしていくこの男性は、木工職人の吉野崇裕さん。建設中の建物は誰でも木工細工を体験できる施設になる予定だ。施設の隣にすでにプレオープン中の椅子の展示施設などとともに、富士河口湖の豊かな森と木々の大切さに触れられるコミュニティにしたいという。このコミュニティを「これが自分の人生最大の作品です」と語る。
吉野さんが東京からこの富士河口湖町へ移住してきて、もう30年になる。木工職人として独り立ちをして間もなく、湿度や気温が木工製品の制作に最適な場所と考え、日本中からこの土地を選んだ。

6年前、吉野さんがここに4,000坪の土地を購入したきっかけは、現在の森林の状況を憂いていたことだった。戦後に植えた針葉樹が利用されないまま朽ちていたり、家具に使う大径広葉樹が激減したり。
「人々の暮らしが木から離れすぎたせいで、皆それを他人ごとだと思っているのだろうか」
もっと木を身近に感じてもらえるよう、体験施設を作りたい。自分が使っただけの木を植え、育て、木に恩返ししたい。吉野さんの長い道のりが始まった。
山梨の森に、人と木の共生を伝える施設を
家族と友人で、まずは2日間で150本の木を切り倒した。「片っ端から切り倒していくと、木がどんどん積み重なっていくんです。高いところでは7メートルくらい重なってしまい、整理に手間取りました」と笑う。切り倒した木から枝を落とし、木材を切り出す、といった作業に半年かかった。
生い茂る針葉樹を間引いていくと、地面まで日が当たるようになる。森の中にたくさん落ちていても芽吹くことのなかった広葉樹の種が、萌芽していく。
「この場所で、人と木が共生していることを未来に伝えられないだろうか」。吉野さんは同じ頃、埼玉県から築100年の古民家を移築することに決めた。この古民家を以前から構想していた椅子の展示施設にすることを考える。
飾り物ではない、満足できる座り心地の椅子を
椅子は吉野さんにとって、特別なものだった。
独立したばかりの頃、注文の家具を納品に行った先で、偶然先輩の作品である椅子を見つけた。有名な家具職人作家である先輩の椅子に対し、吉野さんは「素晴らしい椅子ですね」と褒める。返ってきたのは、想像もしていない言葉だった。「この椅子、座りにくいので飾ってるだけなんです」
吉野さんはその経験を「とても衝撃的だった」と語る。自分の作った椅子が、お客様の家で飾り物になっているのを想像するのは、とても耐え難いことだった。
吉野さんは、満足できる座り心地の椅子ができるまで椅子は売らない、と心に決める。注文家具を作成しても、椅子だけは作らなかったという。納得できる椅子を作れたのは、それから15年後のことだった。
妻の準子さんが病気を患った際、少しでも病状を和らげようとヨガや気功などさまざまな東洋医学を学んだ。その中で出会った「座禅」が、吉野さんの職人人生に大きな転機をもたらした。
「座禅の姿勢は、健康に大きく関わっています。椅子の上で座禅と同じ姿勢が取れないかと研究を始め、『禅チェアー』という椅子を作りました。2002年のことです」
「禅チェアー」は特許を取得。座禅を組む際の上半身の姿勢を維持できるため、長時間座っても疲れない。自然な腹式呼吸を導き、心からリラックスできる椅子が完成した。
「椅子の学び舎」が7月にプレオープン
クラウドファンディングで資金を集め今年7月、椅子の学び舎が完成した。
椅子の学び舎の建設や禅チェアーの開発など、椅子で名を上げた吉野さんが、かねてより構想してきた施設だ。
1階では武蔵野美術大学の名誉教授で北欧デザインおよび椅子研究の第一人者、島崎信氏のコレクションを中心に椅子250脚を展示している。
2階には古民家を改装した寛雅(かんが)な室内に、吉野さんの木工作品が並ぶ。その隣には、準子さんの淹れたコーヒーやケーキが楽しめるカフェも併設した。
現在は木工細工の体験施設「木工スタジオ」の建築などで多忙のため、土日しか営業していないが、今後は訪れた人たちがさまざまな歴史を持つ椅子に触れ、ひと息つける学び舎にしたいという。
森と暮らし、森に恩返しする
吉野さんは現在、森の工房の建設に取り組んでいる。いわゆる「木育」事業のほか、ワークショップなどを通じ、木に触れるさまざまな製作を体験できる施設だ。2022年中の完成を見込んでいる。住み込みの若い棟梁たちが毎日汗を流す。最大の作品になるこの工房で、森へ恩返しがしたい。
近年、あちこちで聞くSDGsという言葉を、吉野さんは複雑な思いで耳にしている。
「SDGsなんて意識しなくても、日本人は元々森と共存していました。あまりにも生活が変わり、日本人は木の文化を忘れてしまったんです」と憂慮する。
東京に建ち並ぶ高層マンションを見るたび、強く思う。コンクリートで作った建物は、長くても100年くらいしか持たない。すべての材料をリサイクルできるわけではなく、最終的には埋め立てないと片付けられない。「あんなにビルを作って、100年後、みんなどうするつもりなんだろう」
「FSC認証」を取得している森林の面積が日本一の山梨県では、豊かな森林を守るための取り組みが数多く進んでいる。
「僕は富士河口湖の森に育ててもらった職人なんです」と吉野さんは語る。もし、育ててくれた山梨県と一緒に森林を守っていくことができるなら、こんなに嬉しいことはない。
吉野さんは、今日も森と暮らす。