コンビニでいつものように買う、一杯のコーヒー。その焙煎に「水素エネルギー」が使われ始めていることをご存じでしょうか?
2025年10月、全国のセブン‐イレブンで「セブンカフェ 水素焙煎コーヒー」の展開が始まりました。UCCが同年4月に大型水素焙煎機「HydroMaster/ハイドロマスター」で量産を開始した水素焙煎のコーヒー豆が採用されており、焙煎の熱源には山梨県内で製造されたグリーン水素が使用されています。製造工程に水素を使った食品が全国約2万店という規模で扱われるのは、世界でもほとんど例のない取り組みです。
なぜ、コーヒーの焙煎に水素だったのか。それをうまく活用して、私たちの日常にまで届く商品を生み出せた原動力は何だったのか――プロジェクトを主導した、UCCジャパン株式会社執行役員サステナビリティ経営推進本部長の里見陵さんに話を聞きました。
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なぜ、コーヒーの焙煎に「水素」だったのか?

――まず、UCCさんがコーヒーの「焙煎工程」に着目し、水素を熱源にしようと考えた背景を教えてください。
里見さん(以下、敬称略):前提として、コーヒーは気候変動の影響を強く受ける産業です。このままのペースで温暖化が進むと、世界の生産量の約6割を占めるアラビカ種の栽培に適した土地が、2050年までに半減するという予測があります。私たちは日本を代表するコーヒー企業として脱炭素に積極的に取り組むべきだと考え、「2040年までにカーボンニュートラルを実現する」という目標を掲げました。
そこで着目したのが焙煎の熱源です。焙煎には天然ガスを使っていて、ここを脱炭素化することが大きな焦点となりました。
――熱源を置き換えるにあたって、なぜ電気ではなく水素だったのでしょうか。
里見:最初は熱源の電化を検討しました。しかし実際に検証してみると、商業用サイズで焙煎を行う上では、電気の方がエネルギーの消費が大きく、焙煎に欠かせない微細な温度調節も難しいことがわかりました。そこで、燃やしてもCO2を出さない「燃料としての水素」に着目したんです。
環境課題とともに追求した、水素焙煎ならではの味わい

――水素焙煎の開発において、どのような「味」へのこだわりがありましたか。
里見:プロジェクトの立ち上げ当初から、経営陣には「単に地球にやさしいだけではダメ。水素だからこそおいしい、を必ず実現してほしい」とオーダーされていました。「環境にいい」というだけでは、お客様が買ってくださるとは限らないからです。水素の特性を生かして、味にどんな影響を出せるのか……その関係性を探ることは、開発初期からの大きな勝負所だったんです。
実際に実証を始めて見えてきた「水素ならでは」のアプローチは、2つありました。ひとつは、水素が燃えるときに生じる水蒸気の活用。もうひとつは、火加減を非常に細かく調整できることです。
私たちは後者の「火加減」に着目しました。どんな火入れをすればどんな味わいになるか――こうした焙煎のノウハウは、日本で一番持っているという自負があります。でも「水素ならではの繊細な火力調整」と「UCC独自の焙煎ノウハウ」を組み合わせれば、新たな強みを見出せると考えたんです。
――水素によって温度設定の自由度が広がったことで、コーヒーの味づくりにどのような可能性が生まれましたか。
里見:焙煎では縦軸に豆の温度、横軸に時間をとったときにどんなカーブを描くかで、味が大きく変わります。私たちはこれを「焙煎プロファイル」と呼んでいるんです。通常のガスだと、温度はほぼ右肩上がりの直線で上がっていきます。一方、水素は高温から低温まで幅広く調整できるので、前半は弱い火力でじっくり寝かせ、後半で一気に加熱するといったカーブも描けるようになりました。

そこで、「水素ならでは」の良さだと明確に打ち出せる要素を探るために、さまざまな生豆をガスではできないプロファイルで焙煎しました。その豆で淹れたコーヒーをブラインドの味覚テストにかけ、統計的に有意な差が出るパターンを調べています。
扱う豆によって違いはあるものの、水素焙煎ならではの焙煎プロファイルにより「フルーティさが際立つ良質な酸味が出やすい」「ボディ感やコクが際立つ」「雑味のある苦みがやわらぐ」といった特長が確認されています。今後さらに研究を重ねていきます。
実証から商品化へ。サステナブルなコーヒーが生活者に届くまで

――味の面で手応えをつかんだ水素焙煎を実際の商品にするまでには、どのような課題がありましたか。
里見:大きくは「コーヒーの品質、運用コスト、水素の安定調達」の3点でした。品質面では、安定したクオリティで焼き続けることに加えて、安全面への配慮が欠かせません。コスト面では、割高になることは最初からわかっていたので、どれだけの付加価値を出せばビジネスとして成り立つのかを徹底的に試算しました。そして、水素をいかに安定的に調達できるか。この点は、山梨県の皆さんのバックアップがあったからこそ実現できたと思っています。
――小型のテスト焙煎機による実証から、大型焙煎機での量産に至るまで、どのようなステップを踏んだのでしょうか。
里見:水素はこれまで扱ったことのない燃料なので、まずは特性を知るところから始めました。小型の焙煎機をつくって試験を重ねました。その結果をもとにバーナーメーカー、焙煎機メーカー、当社の3社で開発・設計したのが、大型焙煎機の「HydroMaster/ハイドロマスター」です。
ただ、実験段階の小さな焙煎機と、工場でフル稼働させる大型機とでは、求められるものが大きく異なります。実験機は仕組みが比較的シンプルで、使う水素の量も少ないので、人の目が届く範囲で確認しながら焙煎できます。一方で量産機には、大量の豆を安定した品質と効率で安全に焼き続けるために、オペレーションの細部を作りこむ必要があります。
現場が最も苦労したのは、安全性の担保です。日々のオペレーションの中で、ほとんど意識しなくても安全が保たれる状態をつくることが大事なんです。たとえば水素は無色無臭なので、漏れに気づきにくい。そのため、運転後には窒素で配管内の水素をすべて押し出すといった設備制御や計測機器を用いて、水素が漏れていないか日々チェックするオペレーションを、いちからつくり込みました。
――実験的に水素を使う段階から、継続して商品を生産できる段階へ進むために、特に重要だったことは何でしょうか。
里見:HydroMasterを、都市ガスやLPGと水素を混合して使用できるハイブリッド仕様にしたことが一番大きかったと思います。水素焙煎コーヒー製品の注文量に応じて、使用する熱源の変更や使用する水素の割合を選択・調整できるので、安定的に焙煎機の稼働を担保できます。この仕様にしたことで、焙煎機自体の稼働を維持しつつ、1つの選択肢としての水素活用も提案できるようになりました。
新技術の社会実装を支えた、山梨のバックアップ

――改めて、山梨県との関わりについて伺います。UCCの水素焙煎の研究開発は2022年3月に始まったと伺っていますが、山梨とつながったきっかけを教えてください。
里見:実は当時、山梨県笛吹市に新工場を建設する計画がありました。「せっかく新設するなら、そこでこそ脱炭素につながる新しい技術を入れるべきではないか」という議論をしていたんです。
その流れで、地元の取り組みをリサーチしていたメンバーが、「近くで水素を製造していて、焙煎の熱源に使えるかもしれない」と報告してきました。調べてみると、山梨は県を挙げて水素研究に関わる人材の育成や開発支援をしていることがわかりました。それなら水素焙煎の取り組みもサポートしてもらえるかもしれないと考え、検討の早い段階で私たちから山梨県にアプローチしました。
――その後、水素焙煎の研究開発は、山梨県や民間企業と連携するNEDOの助成事業「水素を熱源とした脱炭素エネルギーネットワーク『やまなしモデル』技術開発事業」の一環として進められてきました。「やまなしモデル」での採択以降、どのような枠組みで開発を進めたのでしょうか。
里見:山梨県や参画企業の皆さんと「水素をつくる、運ぶ、使う」までを一体で実証する枠組みでした。山梨県などが開発を進めるP2G(※1)で水素をつくり、巴商会様※2が中心となって運ぶ仕組みを整え、当社が工場で使う、というかたちです。
当初は笛吹の新工場のそばにP2Gシステムを置く構想でしたが、建設費が大幅に高騰し、新工場の計画は延期することになってしまいました。それでも、水素焙煎は本当に希望のある技術だと感じていたので、なんとか残したかったんです。
そこで「静岡にある既存の富士工場まで水素を運べないか」と、山梨県や巴商会様に相談したところ、とても親身になって運搬方法を検討していただけて。そのおかげもあって、富士工場への導入を前提として、プロジェクトを組み直すことができました。山梨の皆さんの協力がなければ、今の水素焙煎コーヒーはなかったと思います。
※1 Power to Gas:再生可能エネルギーの電力で水を電気分解し、水素をつくる技術。
※2 巴商会:1950年設立の産業用ガスの専門商社。高圧ガスの取り扱いで培った知見を生かして水素エネルギー事業にも取り組み、「やまなしモデル」では水素の輸送を担っている。

――量産や事業化の段階では、山梨県との連携はどのように生きていますか。
里見:とくにご助力いただいたのは、広報と販売ですね。山梨は県全体で水素を盛り上げていこうという機運があり、県民の皆さんの水素への認知度も高いと肌で感じます。「やまなしミライエネルギーフェス」に出展したときも、水素にとても詳しいお子さんがいて驚かされました。
県産のエネルギーを使った取り組みとして、地元メディアにも多く取り上げていただきました。道の駅やサービスエリアなどを展開する県内の企業は、水素焙煎を全面的に推して導入を進めてくださっています。業務用の水素焙煎コーヒーの販売では、山梨の支店が全国でもトップクラスの売り上げです。こうした実績も、県のサポートがあってこそだと強く感じています。
1杯のコーヒーから、「食 × 水素」の未来を拡張する

――今後、水素焙煎コーヒーや水素焙煎の技術を、どのように広げていきたいと考えていますか。
里見:目下の目標は、カーボンニュートラルに向けて、国内外にある焙煎工場の熱源の水素化を進めることです。それを、環境対応のひとつとして導入するのではなく、製品の価値を上げる技術として広げていきたいですね。
たとえば電気自動車も、環境のためだけでなく、「振動が少ない、加速がなめらか」といった価値があってこそ選ばれています。「少し値段は高くても、水素で焼くとおいしくなる。だからそちらを推したい」と認知されるのが理想です。そのために、水素焙煎の技術を磨くことと、その技術をお客さまや社員に正しく伝えて認知してもらうことに注力していきます。
――水素焙煎の取り組みは、コーヒー以外にも広がる可能性がありそうですね。
里見:そうですね。私たちが先駆けとなることで、ほかの食品メーカーにも水素の活用が広がってほしいんです。「焼く、煮る、蒸す」といった工程で水素を使い、新しい付加価値を生み出す企業が増えれば、各地で水素エネルギーの供給の仕組みや体制が整い、価格も抑えられて、使い勝手がよくなっていくはず。UCCの取り組みが、そうした好循環のきっかけになればうれしいですね。
――最後に、山梨県との取り組みを通じて、企業と自治体が連携しながらグリーン水素を社会実装していくことに、どのような可能性を感じていますか。
里見:水素エネルギーにおける山梨県の動きの速さや官民連携の密度には、本当に驚かされます。大都市ではないぶん小回りが利く面もあって、企業同士やメディアとの距離も近く、とても連携しやすいと感じています。
今後は、山梨で「食 × 水素」の企業コミュニティが広がっていったらうれしいですね。食の企業が集まって水素でどう付加価値を生み出せるかを一緒に考えられたら、面白い場になるんじゃないかと。水素の活用が特殊なものではなく、当たり前に価値のあるものとして受け止められる――そんな世界を一緒につくっていく仲間が、これから山梨で増えていったらいいなと思っています。

文・西山 武志、写真・中込 涼